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フィリピンでの平和活動 マリオ・フンゴさんの思い出
カテゴリー:ピースポール
2020年の11月22日の五井昌久氏のお誕生日に初めて開催されましたグローバルピースポールデーにオンラインで参加した時、フィリピン人のピースレップであるマリオさんの事を思い出しました。彼は30年以上、世界平和活動に貢献し、多くのピースポールを建立し、昨年3月22日に亡くなりました。彼が生きていたら、どんなにこの日を喜び胸張って参加できただろう!と思いました。マリオさんと20年以上交流し、ソウルメイトとして友情を育んできた一人として彼との活動に感謝を込めて、ご報告させて頂きたい気持ちが沸き上がりました。
マリオさんは兎に角ピースポールが大好きでした。私が知るだけで、フィリピン全土70本以上の建立を手助けし、その内45本を日本から送らせて頂きました。私自身も5回現地を訪れ、多くの皆さんと共にピースポール建立やピースセレモニーを行いました。
特に印象に残ったピースポール建立は バタンガス県のバウアン地区で行われた 戦争慰霊祭の時でした。 第二次大戦終盤に日本軍がフィリピンの民間人に行った大虐殺の記事が英文で自宅に送られてきました。私は初めて、マニラだけで10万人以上が殺され、バウアンでも教会に居た何百人もの市民の命が奪われた事実を知り、胸が痛みました。そして 緊張の中、一人でフィリピンへと旅立ちました。
マリオさんは平和を通して多くの人々とのネットワークを築いていてこのピースポールは戦争の痛みを超えてフィリピンと日本の友好を願うNPOからの要請でした。 村民300人以上が参加してミサが行われ、その後、鎮魂の祈りの式典があり、ピースポールを建立し、スピーチをしました。平和への強い決意と鎮魂の役目を持ってのピースポール建立は本当に深い意味がありました。写真を現像しましたら、多くのオーブやマンダラ(に見えるもの)が空中に映っていました。今も慰霊祭が毎年開かれ、平和のシンポルとしてのピースポールは働いてくれています。
カトリック系の教会の敷地には 日本軍がフィリピンに残し、不発処理された爆弾の上にピースポールが建立されました。「戦争から学び平和を守っていこう!」というメッセージを込めて学生たちが祝福のダンスを披露してくれ、最後に手を繋いで平和の歌を合唱しました。マリオさんは、キリスト教、イスラム教、仏教 バハイ教など、異なる宗教を信じる友人達と交流し、 違いを超えて人々が平和意識で一つになれる機会を持ち、若者たちを育てていました。 踊りや歌が加わり、平和を表現する人々の寛容さや明るさを私はいつも素晴らしいと感じていました。
腎臓専門病院でも高校や大学でも、マリオさんのネットワークが発揮されて、ピースポールの建立をしました。そこでは 毎年、国連のピースデーに合わせて、ピースセレモニーやピースウォークを行っていました。マリオさん亡き後も、人々が引き継いでくれることを願います。
ピースレップとして、マリオさんはいつも活動的でした。実践的で、例えば植樹という形で植物や大地への感謝も行っていました。私も子供たちと一緒に、木を植えたり、ハイキングをしたりする中で、マリオさんと共に大自然の大切さを伝えました。自然農法を実践するシスターと一緒に行ったピースポール建立もマリオさんの交流の賜物で、感謝されました。
「継続は力なり、宝なり!」 フィリピン全土で、May Peace Prevail on Earth の平和メッセージを普及し、多くの人々、特に、若者たちに平和を祈り実践する大切さの種まきをし続けてきたマリオさんに心より感謝が湧いてきます。人なつこくて温かくて沢山の人々を励まし 助け 愛し、沢山の人々からも 励まされ 助けられ、愛された人生の様に思います。
マリオさんが入院した昨年の3月には フィリピンでもすでにコロナの影響がでていました。その中で、マリオさんを父の様に慕い尊敬していました 姪のノルマさんが、中心となり看病をし続けましたが、22日、旅立っていかれました。そして 彼女は5月3日に第4子となる男の子を無事に出産しました。彼の名前は Shinjiro Mario と言います。マリオさんの生まれ代わりのようです。私がノルマさんに初めて会った時は、まだ大学生でした。そして今は四人のママです。マリオさんが「宜しく頼むよ!」と私に伝えているように思われ、ノルマさんを励まし、交流を続けています。May peace be in the Philippines, May Peace Prevail on Earth. マリオさん!天国から応援ありがとうございます。
UT
マリオさんが建立活動をしたピースポール52本のリストと地図(1992-2007)(地図のオレンジの位置がピースポールが建立されたおよその位置)
Peace Pole in Philippines1992-2007.pdf
|AUTHOR:WPPS日本オフィススタッフ|DATE:2021.03.19 16:37|