パリ五輪に向けてフランス横断、ピースドールの旅
カテゴリー:ピースドール
25年来交流があるバルチックサイクルツアーが、今年はパリ五輪を向けて東京-パリ間を自転車で走破する中で、私も東京-鹿児島、フランスに参加しました。フランスでは、欧州メンバー20余名の仲間と共にコルシカ島と本土(マルセイユ→ニース→ローヌ/アルプ→ブルゴーニュ→パリ)の1800kmを走りました。自転車競技で有名なツールドフランスのコースも含みます。宿泊は主にキャンプ場でのテントでした。
沿道の方々にピースドール500体をお渡しし各所で喜んで頂きました。始めはきっかけづくりが難しく戸惑いも多く、急ぐあまり挨拶後のお渡しの際に断られることもありましたが、時間をかけても少し話をして打解け合ってから渡す方がより多く成功するとコツをつかみ、何とか楽しい交流を図り、日本の皆さんの手製と紹介しながらお渡しして参りました。
この内、コルシカ島では沿道の家の方は、ピースドールを差上げたら感激され玄関横庭での食事にお誘い下さいました。別の場所の男性もピースドールに感激され後から車で追いかけ、お礼にナッツを一袋下さいました。世界自然遺産ボルド湾を臨む高台では、イタリアの自転車ツアーメンバーさん達、声掛けの上で記念写真を撮影しピースドールを差上げたご縁で、後日に荷物車運転のメンバーがツアー中の私を見つけ声掛け、食糧の心配までして下さいましたなど。ピースドールを通じて確実に世界平和のメッセージの輪を広げることができました。
(T.N)
2018.5.10 (木)-13(日) 写真は各地のもの
私たち4人はスペイン、モロッコ、そしてスペインに隣接したイギリス領ジブラルタルへと平和活動にでかけました。この3泊5日という短い期間で3カ国を訪れる、という大変密度が濃く,目が回りそうな旅程でしたが、行く先々の歓迎で疲れも吹っ飛びました。トレド(スペイン)のカテドラル(大聖堂)では、神学校の先生でもある神父様にお会いし、学生たちと輪になり、卓上ミニピースポールを受け取ってくださいました。どの国の人々も、ピースポールや、ピースドールのギフトに目を輝かせ、「本当に貰えるの?!」と感激していました。一見平和に見える日常の中に、本物の愛や平和をもたらす出来事がいかに少ないか、人々は平和を本当に希求していると、実感する旅でした。 (F.K)
昨年(2017年)5月に夫婦でサイパンを訪れた時、6年前(2012年)に建てたピースポール・メンテナンスのため、タポチョ山(サイパン最高峰)に行きました。到着すると、日本語2面、英語1画が剥がされ、辺りはゴミだらけで愕然としました。
その経過を踏まえ、2018年4月20日(金)から23日(月)まで、改めて9名で、WPFCとピースポールメンテナンスに行ってきました。
4月21日(上)オレアイビーチ&グリルレストランのウッドデッキにて、子ども達も参加してフラッグセレモニーを行いました。素晴らしいサンセットが背景でした。またミニピースポールも2本贈里しました。
4月22日(日)ピースポールメンテナンスを①ラストコマンドポスト(南雲中将が自決した場所)、 ②バンザイクリフ(米軍の降伏勧告に応じなかった日本兵や民間人が、「天皇陛下万歳」と叫びながら海に身を投げた断崖絶壁)、 ③グロット(ダイビングスポット)、④タポチョ山(最高峰で激戦区)の4ヶ所で行いました。
②のバンザイクリフは過去にメンテナンスした日本語が傷んでいた1枚だけ、同じものを貼り替えました。①③④は日本語、英語、中国語、韓国語のステッカーに貼り替え、①ラストコマンドポストと④タポチョ山は下部をセメントで固めました。
*ドライバー&ガイドのKeijiさんとAriさんは、心を込めて手伝って下さいました。修復に必要なセメントの調達を依頼すると、セメントは彼らの気持ちとして寄付してくれました。
メンテナンス終了後、Ariさんが撮られた私達の活動と動画や写真を会社に持ち帰り、社長のMr. Chris Nelsonさん(マリアナ観光局長も兼任)がそれを見られて、大変感動され、地元のテレビに放映して良いかの問合わせがありました。サイパンは今、旅行者のゴミマナーがひどく、問題化して島民が皆困っていて、あなたたちのピースポールメンテナンス、ゴミを拾う姿は大きな影響力があるとのことで、快諾しました。地元ニュース番組で2分間放映されたという報告を後で受けました。
*今回は慰霊の場所に、折り鶴のレイをお供えし、お祈りさせて頂きました。また用意したミニピースポールを5本とピースドール100体は、各地ですべて贈呈することが出来、大変喜ばれました。
*タポチョ山では、3名の台湾出身の若者たちが、私達の作集を感心した様子で合掌してじっと見ておられましたが、終了後には一緒にお祈りしたいと希望されたので、皆で輪になって中国、韓国語、英語、日本語の願で一緒にお祈り致しました。この若者たちは我々が立ち去る時も、ピースポールの側から去りがたそうにしていたのが、とても印象的でした。
*サイパングランドホテル内の日本兵の慰霊塔で祈っていたら、ホテルの従業員の男性が、感謝してお線香を持ってきて下さり、一緒に祈りました。最後の卓上ピースポールを贈呈しました。(O.Y)
私たちは1月25日(木)~27日(土) 平昌オリンピックの成功と朝鮮半島の平和を願って、オリンピック会場周辺を中心に平昌、江陵、ソウルなどで平和活動を行いました。
平昌の朝は-20℃、指先がしびれるほどの寒さでしたが、ここ最近では暖かい方だと聞き驚きました。ホテルを出て、目の前に開会式会場と道路沿いの各国の国旗が見える食堂に入りました。私たちが、朝鮮半島と平昌オリンピックの成功を祈るためにこの地に訪れたことを伝えると、日本からきたと知ったオーナー(女性)が「日本からわざわざ平和のためにありがとう!」と感に堪えないお顔でおっしゃいました。 卓上ピースポールとピースドールを差し上げると、大変感激され「コーヒーをご馳走するからついてきなさい」と2分くらいのところにある、息子さんのカフェに案内されました。
カフェの中では、オリンピックの選手村にフードコーナーを出店する経営者の方がスタッフとミーティング中でした。その方々にも、ピースポールやピースドールを贈呈し、交流をしました。オーナーの女性がフードコートのスタッフの方々に私たちのことを話して下さると、「日本から!まだオリンピック前に!」と驚かれ、店内には温かいエネルギーに満たされました。
次に、江陵の烏竹軒(オジュッコン)/市立博物館を訪れ、卓上ピースポールとピースドールを贈呈しました。その後、門のそばの雑貨屋さんがありました。オーナーの工芸作家の女性は、私たちの活動に心を打たれた様子で、 「こんなことができるのですか。韓国人もしないことを・・・お金にもならないことを...素晴らしい...」と、何度も胸に手を当てて、涙を浮かべて喜んでくださいました。 通訳の李さんは「先生は嬉しくて、感激して喜んでいました。平和のためと聞いて、あんなに感動する韓国人は久しぶりです。」と話してくださいました。この方は女性はソウルの中央博物館の仕事もしているそうです。
27日(土)には、ソウルの徳寿宮(とくしきゅう)を訪れました。見学に訪れていた小学生のグループが幾つかあり、ピースドールを差し上げました。日本語で「ありがとうございます。」と笑顔で喜んでいる元気な子供たちと、その子供たちの先生が「日本人の皆様が平和のために来てくださっている。みんなも平和のためにいろいろ学びましょうね」と語りかけていました。 その他、宿泊したホテル、コーヒー博物館や行く先々の飲食店、ショップなどで卓上ピースポール、ピースドールを贈呈し、喜んでいただけました。
この他、各地で利用したホテル、レストラン、カフェ、化粧品店、雑貨店などに卓上ピースポールを贈呈しました。 (G.Y.)
2017年6月8日から11日まで、台湾と中国/厦門(アモイ)での平和活動を行いました。
前回の台湾での活動の際、台湾から中国大陸まで1時間足らずで渡れると聞きました。地図を見ると、台湾から近い中国大陸は「厦門」(アモイ)でした。厦門なら成田から直行便がありますが、台湾の知人から「一度日本から台湾に入り、台湾から厦門に行くといいですよ。というのは、かつては敵同士だった地へ、平和のために渡ることに意義があると思います」とアドバイスをもらい、計画を進めました。
1日目は台北市内での平和活動です。漢方薬で有名な「油化街」にある「台北霞海城隍廟(タイペイシアハイフォアンミアオ」という寺院に卓上ピースポールを贈呈しました。卓上ピースポールとピースドールは神仏に捧げられる供物の間に、恭しく供えられました。ちょうど年に一度の大祭の日で、大勢の信者たちが参拝に訪れていました。
2日目は、2つの地の間の海峡を眼下に「台湾が平和でありますように、中国が平和でありますように」と祈りながら、厦門に到着しました。まず厦門の南海岸にある五老峰という山の麓にある唐代の名刹「南普陀寺(なんふだじ)を訪問。観音菩薩を主として供養する千年古刹です。浙江省の普陀山の南にあるため、南普陀寺と称される。福建省南部ひいては中国全国にも有名な寺院です。卓上ピースポールとピースドールは参拝者が最初に訪れる執務室に供えられました。
最終日は「コロンス島」で活動しました。コロンス島(鼓浪嶼)はアモイ島の西南部に位置し、対岸のフェリー乗り場(中山商業区にある)との距離は1キロにも足りません。面積は1.78平方キロメートルで、定住人口は2万人です。この島には中国内陸部に住む、海を見たことのない中国の人々が1日3-5万人が訪れるそうです。
コロンス島は音楽の聖地で音楽にたけた人材を多数輩出し、単位面積あたりのピアノの保有台数は中国一で、ピアノの島」「音楽の島」とも呼ばれています。ピアノ博物館に卓上ピースポールを贈呈した際、スタッフの女性が「平和と感謝のお礼です」と、見事なピアノの演奏をしてくださいました。大勢の来館者も、思いがけないピアノの演奏に大喜びで、ピースドールに感激していました。この他、行く先々で出会った人々にピースドールを贈呈し、喜ばれました。(YT)
2017年8月、フィリピンのミンダナオ島を訪れ、3つの小学校で平和活動を行いました。
14日は、バタサン小学校の400人の子どもたちと先住民のチーフ、マキララ地区の区長、校長、PTA会長、NPOの代表、その他地域の人々とセントラルパークにて、7mの大型ピースポール建立式、フラッグセレモニーを行い、ピースドールを贈呈して喜ばれました。7mの大型のものは、地元の人々の注目を集め、恒久的なものを建てたいと思ったことが動機でした。フィリピン最高峰のアポ山の麓に、コンクリートで地下の基礎工事から始め、7メートルのピースポールを建立したものです。
6月には戒厳令が発令され、社会的に不安定な中での平和活動でした。この地域は先住民とキリスト教系の住民が半々の割合であり、まだまだ衝突が絶えないのが現実です。
特注ピースポールの正面には、先住民の言語で「フィリピンが平和でありますように」と表記しました。フラッグセレモニーでは、参加者全員で、フィリピンと世界の平和を祈りました。
15日は、キダパワンシティのキダパワンシティ小学校(モデル校)で1600人の児童と共にフラッグセレモニーを行いました。次回訪問の際もセレモニーを行うことを約束してきました。時間の関係で、記念撮影は2クラスのみでした。
16日は、同市のラナオ中央小学校で、800人の児童と共にフラッグセレモニーを行いました。学校側が、今回のピースセレモニーの告知ポスターを製作して、学校正面にポスターを掲げてくれていました。学校側の配慮にとても感動しました。政情が不安定な中、参加者全員が一丸となって世界各国の平和を祈ることができました。
O.A & O.H
2017年8月10日~ 16日まで、フィンランドのヘルシンキ経由で、バルト三国を訪れました。前回が、ソヴィエトのゴルバチョフ時代の戦車による流血事件の時だったので、大変懐かしい旅でした。当時は、エストニアなど観光ゼロでしたから。今回は北から順番に南に下った感じです。
旧ソヴィエト時代を遡り、ロシア支配のずっと以前から、他国の支配下にはいらぎるを得なかったこの三国には、複雑で美しく、しかし熟成された美意識を備えた筋の通った生き方があるように感じられました。帝政ロシア時代に世界最強だったロシア艦隊を破った日本に対して長く歓喜に沸き返った話も有名です。ユダヤ人にヴィザを発給した杉原千畝もリトアニアにいました。
エストニア→ラトヴィア→リトアニアと南下するにしたがって、ピースドールヘの反応も敏感になり、リトアニアの首都ヴィルニュスでは、受け取ったとたんに、世界のという一字を発見すると、マラジェーッツ!(素晴らしい)というは声を上げたおばさんと青年がいました。彼らは教会で掃除をしていました。白亜の美しい聖ペテロ&パウロ教会の入り口で物乞いをしていた青年が、お人形の意味を察すると、うずくまっていた全身から突然飛び上がって、私に抱き着いてきました。ラトヴィアやエストニアは、何度もソヴィエトには侵攻されていますので、いまだにロシア語があちこちから聞こえてきて悲しみに誘われました。
ラトヴィアの首都リガの教会で掃除をしていたあるおばさんは、私が英語で話しかけても、まったく分からないと受け入れ態勢ゼロ風の反応でしたが、いったんピースドールとピースメッセージの内容がうっすら分かってきたら、顔を満面にほころばせて、受取りました。帰りがけに出口で後ろを振りむいてみると、彼女はまだ丹念に一枚一枚のピースメッセージを読んでいるのでした。
今回は多くの教会や宗教施設を回りました。特に驚いたのは、迷って入った施設が何とリトアニア軍の本部で、人形とメッセージを渡した後になって、初めて分かったことです。
(Y.K)
エスペラント語の世界大会でピースドール配布
カテゴリー:ピースドール
エスペラント語の第102回世界大会が、韓国のソウルで、7月22-29日の期間に開催され、62か国が参加しました。使用言語はエスペラント語のみです。私は関西グループ19名に入れてもらい楽しい旅になりました。開催地の民族文化を発表する時間があり、韓国舞踊と音楽を楽しみました。一週間出会った多くの人々にピースドールをプレゼントしながら、エスペラント語の交流を思う存分楽しみました。ピースドールは本部からエスペラント語仕様をたくさんいただきました。 (S.S)
2017年5月3日に開催されました、ウズベキスタン・サマルカンドでのWPPCは、オリフ・グルハネ博物館とサマルカンド第9小中学校の2か所で開催され、ともに大成功でした! ピースポールもこれらの2か所に建立されました。
ウズベキスタンでは5月9日を第二次世界大戦における戦没者慰霊の日の祝日と定めていますが、WPPCはウズベキスタンの戦没者への弔意を表すと共に、世界各国の平和への意識を一つにすることを目的に実施されました。日本からは、7人がスタッフとして参加しました。これは、長年、ウズベキスタンとの交流を継続してこられた高山さんのご尽力により、実現できました。
この文学博物館、兼植物園では、約50人の方々が参加され、小中学校では、約200人の生徒と教職員の方々が参加されました。またピースポールは、博物館では公道に面したところに建立され、小中学校では校庭の目立つところに建立されました。博物館でも小中学校でも、「〇〇が平和でありますように!」、「〇〇ダ ティンチルク ボルスン!」との大唱和が自然に湧きおこり、盛大なWPPCとなりました。
博物館でも小中学校でも、ピースドールをはじめとするピースグッズが大人気でした。ピースグッズは、観光地も含めて約2,000個を配布することができました。直接的、間接的に参加くださいました方々、ピースドールなどのピースグッズを提供くださいました方々、ご寄付をくださいました方々、その他さまざまな形でご協力くださいました全ての方々に、心から感謝申し上げます。
NPO法人インターナショナル世界平和の響き
2017年1月4日からスリランカで平和活動を行いました。コロンボから車で片道5時間ほどのアヌーラダプラには、2300年前にインドのブッダガヤから分け木をされた菩提樹がいまも生き生きと生き続けています。その菩提樹は2500年前にお釈迦様が悟りを得られた時に、暑い日差しから守ってくれたと言われています。その菩提樹がインドから運ばれた頃に創建された寺院『スリマハボディビハレ』に卓上PPを贈呈しました。またその往復に立ち寄った休憩所やレストランにもピースドール、卓上ピースポールを差し上げ「平和が必要なスリランカに平和のメッセージを伝えてくれてありがとう」と感謝の言葉をたくさんいただきました。F.K