広島に原爆が投下されてから75年の節目である本年8月6日、ニューヨーク・オフィスとワールドピースフラッグセレモニーヒロシマは、他の平和団体と協力して「広島・長崎75周年プログラム ヒーリングソウルズ・ヒーリングネイションズ(魂と国々を癒す)」イベントをオンラインで開催しました。
広島在住被爆者の田中稔子さんのお話をはじめ、被爆二世の方、チェルノブイリ原発事故を経験された方、東日本大震災における福島原発事故など、国や状況の異なる方々が、同じ過ちを犯さないよう世界中に語り掛けました。
また、広島市長や原爆投下のきっかけとなる真珠湾攻撃を受けたホノルルの市長、MPPOEの西園寺里香副理事長のメッセージが紹介されたほか、世界中と時を合わせた黙祷や広島で27年間続けてきたフラッグセレモニーを行いました。
新型コロナウイルスでやむなくオンライン開催となりましたが、世界と一つにつながり、心を合わせて平和を訴える充実したイベントとなりました。
英語で行われた行事であったため、それぞれのお話の要旨を下にまとめました。
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始めに地元広島で、新しい形の被爆の伝承に取り組むカルチャー・ピースヴィレッジのお二人が、AR(拡張現実)の技術を用いた動画で平和公園の様子などを見せてくださいました。
まず初めにアメリカ先住民の代表者フィル・レインさんが、元海軍軍人だった父から聞いた当時日本はすでに敗勢で、あの原爆は落とす必要がなかったという言葉を伝え、人類を代表して原爆で亡くなった方々、被爆者の方々とご家族に心から謝りますと述べました。そして先住民にかつて行われた酷いこと、75年前に行われたひどいことに対して、私達に力を与えてくれるのはゆるしです。共にゆるしましょうと呼びかけました。今日より核兵器は母なる地球より一掃されなければなりません。人類家族として日本にいる皆様に行われたことは、二度と繰り返されてはなりません。そして世界人類が平和でありますようにと予言されたように、世界は平和になります。皆さまの愛と、ゆるしと祈りに感謝しますと述べた後、四方の神々と祖先の霊によびかけ、私達の心を清めることを願い、非戦、非核を誓いました。
次にカスリーン・バーキンショーさんという、アメリカ在住の被爆二世である方のお話を聞きました。彼女がお母さんから聞いてまとめて出版した本「ラスト・チェリー・ブロッサム」は、国連の核兵器廃止のための資料として指定されています。
75年前私の母は友達と話しながら通りを歩いていました。筒全閃光を浴び、大地が揺れ、二人は悲鳴を上げながら抱き合いました。おじいさんとその友人はその日のうちに亡くなりました。また彼女は数年以内に原爆で家族全員を失いました。母は当時12歳でした。原爆のことをすべて理解することはできませんでしたが、見た恐ろしい光景は忘れることができない年齢でした。82歳で亡くなるまで毎年8月には悪夢でうなされていました。その日以来、だれかを愛することはできなくなりました。彼女は私が知る限り一番強い人でした。私と娘は、母が語ってくれたことを心から大切にしています。被爆二世として私は母の話を語り続けます。それが有権者、特に未来の有権者に対し、命が失われ、愛する人々が失われ、心が壊れ、打ちのめされ、一生続く肉体と心の傷の痛み、だれもが二度とそんな体験をしなくて済むように伝えたいと思います。私達生存者と失われた人々を尊び、私達被爆者の声を生かし、聞き届けてくださることに感謝します。私達の努力は希望です。May Peace Prevail on Earth
田中稔子さんは、ご自身の体験についてお話くださいました。当時6歳で、当日広島市にいて被爆されました。学校に行く途中でした。泣きながら帰ると家は破壊されていました。破壊された家の中から見上げた青空が印象的でした。髪の毛が燃えて、灰を被った私を見ても、母は私だとわかりませんでした。病院もやられていました。広島市は原爆によって一瞬にして灰になり、14万人が亡くなりました。同級生もすべて亡くなりました。私自身も12歳から原爆症に苦しみました。あの日の記憶は残り続けます。私が原爆が投下された当時を語れる最後の世代です。
この悲劇が二度と繰り返されず、誰も苦しむことがないよう、どうか世界に多くの友人を作ってください。それが戦争を止める力になります。世界に非核化の努力を続けている人々がいます。ICANの人たちはその代表的な一例です。国連での非核条約の締結に努力している人々がいます。いつの日か核兵器の恐怖から解放され、青空が未来に亘って輝きますように。
チェルノブイリの体験者 スヴェットラナ・クルデャショーヴァさんのお話
ウクライナの首都で長年教師をしています。1986年、史上最悪の原発事故がウクライナのチェルノブイリで起こりました。私たちは悲しみに打ちひしがれました。その後、日本の原爆体験から学び、日本の団体がウクライナを訪れるようになりました。私達の学校にも来てくれました。銀林美恵子さんの明るいスピーチは我々を励まし、平和活動、核軍縮運動にと導きました。現在われわれの平和学校には、平和博物館があり、特別な場所に日本コーナーがあります。毎年私たちは国際平和デーを祝い、この悲劇について生徒たちに語りかけます。
私たちは折り鶴のお守りの力を信じています。子供たちは佐々木貞子さんの話をよく知っています。我々は日本から送られたたくさんの千羽鶴を受け取り、この勇敢な少女をたたえるようになりました。私たちは折り鶴を教えるだけでなく、戦争のない平和を信じるように教えます。貞子の記念碑にある言葉は私達の願い事でもあります。「これはぼくらの叫びです。私達の命です。世界に平和を築くために」我々の心にそれを刻み、生かし、地球規模の問題の本質を忘れてはいけません。私達は広島、長崎、福島、チェルノブイリを忘れてはいけません。長年にわたり平和活動を支援し、ピースポールの建立などご支援くださった日本のピーススターインターナショナルの会長である吉田一敏氏の合言葉で終わりたいと思います。「皆平和のスターなのです。平和のスターになりましょう。世界人類が平和でありますように」
和泉日出子さんの福島の体験
福島で生まれました。今仙台で暮らしています。福島から マイルにあります19マイル。
2011年3月の東日本大震災の津波で、福島原発はメルトダウンを起こしました。この災害は私の自然との結びつきを深めました。私たちはこの地球上に生かされているということをはっきりと感じました。すべてのものに感謝して生きること。震災から3か月後にインスピレーションを受け、人々の心を癒すために東北地方に70本のピースポールを建立することを思い立ちました。私は多くの方の支援を受け、この計画は無事成功することができました。3年後の2014年には福島原発からわずか20Kmの距離にある日鷲神社にピースポールを建立させていただくことができました。神主さんは、町の人々の安寧と一日も早くみんながこの地に戻ってこられるよう願っていらっしゃいました。5か月後、お招きいただいて日鷲神社にてフラッグセレモニーを行いました。多くの住人の方が戻って参加してくださいました。人類が内なる平和を得られるよう共に祈りましょう。
Golden Rule project by Veterans for Peace
First Peace Boat 1956にコスタリカで作られ、4人の平和主義者が購入し、LAから 4 members がゴールデンルール(「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」)を伝えるべくマーシャル諸島の核実験場に向けて出航しました。 この間彼らはできる限り広報活動を行いました。
ホノルルでは、出港しないように行政命令を受けたのを無視して出航し、海上保安庁に逮捕・拘留されました。使命を果たせませんでしたが、これに対する大規模な抗議行動が起き、広範にわたってマスメディアに取り上げられ長期的には、アメリカ、イギリス、ソ連、フランスに核実験中止の影響が及びました(一時的なものにせよ)。
10か国に100支部、会員2500人以上の退役軍人が、戦争と核兵器に反対する活動をしています。
1958年に売却された後2010年に座礁、これを引き取って5年かけて修復し2015年に進水。カナダ・アメリカ・メキシコの西海岸の1000カ所以上で平和講演活動。2017にはLA,から太平洋を横断してハワイ。マーシャル、グアム、沖縄、長崎、広島、LAを周り核なき平和で持続可能な未来を訴えました。核戦争の脅威は、気候変動の脅威と並ぶ脅威であり、年に一度ではなく、毎日話し合われなければなりません。国連の核兵器禁止条約法案は、2017年に賛成/反対が122対1で議決され間もなく条約化されます。すでに50か国中40か国が批准しています。みなさまもぜひご協力ください。
退役軍人のルネー・マリー少佐のお話
元米陸軍軍人として、平和活動家として日本の皆さまに深くお詫び申し上げます。第一次世界大戦の後に読まれて詩を引用。
アクティベイト・ピースポール・プロジェクト
私は、子供たちのために 幼稚園から大学まで多くの学校でピースポールを立てて、その前で平和の話をしています。ピースポールがその力をいっそう発揮できるよう、人々の意識にいっそううったえかけるよう子供たちは未来のリーダーです。子供たちが互いに平和について話し合い、互いに意識を高めあってくれるのが願いです。
アフガニスタンでもピースポールを建立し、講演しました。そのインパクトで私の話を聞いたある児童が、もういじめを二度としませんとある皆の前で宣言してくれました。
いつもこのピースポールのメッセージを伝えています。
「私は立っています。決して眠りません。
私は希望です。
すべての国、すべての言語で、すべての人に、
その心に謳われた平和、それが私です。」(ルネー本人作)
Message of Water, Rainbow experience in Pearl Harbor 根本康行さん
故江本勝氏の研究所で水の研究をしていました。言葉の力が水の結晶に与える影響力の研究です。2005年にはハワイに住んでいて、人類のために何かできないかと考えていました。そして広島とパールハーバーでの同時WPPC開催を思い立ったのでした。真珠湾と広島は太平洋戦争の始まりと終わりを象徴する場所です。人類の20世紀の戦争の集合意識を平和とワンネスの21世紀に変えるため、私は二カ所を結ぶ虹のイメージを持っていました。多くの困難がありましたが、2005年12月2日に真珠湾の戦艦ミズーリ記念艦にてWPPCを開催しました。広島では同時に中澤英雄さん、仲道恵子さん、バーバラ・ウルフさん、ガーガレット・フィキオリスさんがWPPCを開催していました。5日後の12月7日、真珠湾のビジターセンターでは慰霊祭が行われており、私も参列しました。戦艦が湾内をゆっくり航行しており、突然雨が降り出しました。すると大きな二重の虹が真珠湾に出現したのです。まるで真珠湾で亡くなった方々の魂が二重の虹を通って天界に昇って行かれたように思えました。聖書においては、虹は神々の約束のシンボルです。私は私達の気づかないところで、神々の支援を受けていたように思いました。
私は人類が最後には世界平和を獲得する可能性を秘めていることを信じています。それは平和になるかどうかの問題ではなく、いつ、そしてどうやって平和になるのかという問題です。
プーキ・リーさん ハワイから 真珠湾と広島の人々の心をつなぐアロハ・スピリット
私は日本に多くの友達がいます。
オアフに住んでいました。父は陸軍軍人で空軍でも働いていましたが当日は非番で家族と山に登っていました。当日の話は祖母から聞きました。日本の攻撃を受けて、どんなに打ちのめされたか。祖父は仲間の救援のために真珠湾にかけつけ死にました、アリゾナの乗組み員だった軍曹をうちに泊めました。
私たちは互いに見えるとき、お互いに日本人とアメリカ人として人類家族として認め合います。
戦争はそこに住んでいる土地の人を代表していません。政府の戦争なのです。
爆撃を受けたアメリカ人はそれを許すことができず、広島と長崎に原爆を落としました。
私たちは人類家族として愛でつながりあい、お互いの心の痛みも悲しみも見えるのです。戦争は人々の心を代表していません。
私にはこの世になぜ戦争が必要なのか理解できません。私があなたの目を見るとき、愛の存在を感じるだけです。アロハ精神とは愛のことです。私達はそのためにこの世に生を受けているのです。
兄弟姉妹である私たちは時として互いに対する愛が見えなくなってしまうのです。
私たちは一つの人類家族です。だから核兵器をなくすことをは重要なのです。
それは人類家族すべてにとっての脅威だからです。水はすべてをつないでいるんです。
私が水に手を浸すとき、私は地球のすべてとつながります。だから水に愛のエネルギーを送り、世界に愛を送りましょう。ピースポールも愛と平和を伝えることができるんです。
私はこのピースポールを持って街に出かけます。私たちが必要としているのは平和だけです。それはアロハの精神です。未来の子どもたちが平和を必要としています。
クリスティン・ホッフマンさん(歌手)
今日はNYが大嵐で停電になってしまったので、録画でお伝えします。
歌唱
仲道恵子さん
第28回広島WPFCにご参加ありがとうございます。WPPC広島のメンバーの仲道恵子です。人類で初めての原爆が使われた8月6日は、平和について考える最も大切な機会の一つです。新しい平和の時代、平和の文化を築くため、心を一つにして共に祈りましょう。
写真でご覧いただけるように原爆ドームの前で過去27年間毎年広島WPPCが行われてきました。今年はCovid19のせいで、現地でのWPPCの実施はできませんでした。
セレモニーに入る前に、例年はどのように行われているか簡単にご紹介します。
原爆ドームは世界遺産に指定されている平和のシンボルです。この原爆ドームの前で、人種民族宗教信条を超えて共に世界平和を祈ってきました。
佐々木貞子さんの物語と千羽鶴は、世界平和の願いと祈りを世界中から集めてきました。
ピースアートサークルは、世界各国語で世界平和の祈りが書かれ、展示されてきました。
広島・長崎をテーマにした年のピースパルアート展の作品も展示されています。心をこめて作られたピースドールも来場者にプレゼントされています。
代表 冨永昌平さん
ビデオメッセージ
8月6日広島に原爆が投下され、3日後に長崎に投下されました。お年寄りから赤ん坊まで10万人以上の人々が亡くなり、市民の日常生活は一瞬にして消滅してしまいました。
あまりの衝撃に当時広島では75年間は草木も生えないと言われたものです。しかし翌年の夏にはキョウチクトウが花を咲かせ、人々に希望を与えました。そういうこともあってキョウチクトウは広島市の花に指定されています。今夏も平和公園の各地に赤や白の花が咲いています。私達のグループは27年間、毎年8月6日の原爆の日に世界各国の平和を祈るフラッグセレモニーを開催してきました。人種・宗教・政治の違いを超えて、世界各国の国旗を一国ずつ掲げて、その国の平和を祈る行事です。セレモニーは恒久平和を願うシンボルになっている原爆ドームの前で行われてきました。
残念ながら今年はコロナウイルスの影響で現地開催は断念しました。しかし、何とかしてこの日に広島から世界平和を願う強いメッセージを発信していきたいと思っていました。幸いのことに海外の多くの方々のご協力により、このようなインターネットライブ中継が可能になりました。広島を代表して心から感謝申し上げます。
本日のフラッグセレモニーでは、過去に参加した方々に再登場していただきます。ある年の8月6日に私達の前を偶然通りがかり、私達の趣旨に賛同して喜んで旗を掲げてくださった方々です。時空を超えて共に世界の平和を祈りましょう。
まもなく原爆投下時刻の8:15です。75年を経て被爆者の方も亡くなり、冬至の事を知る人は少なくなってきました。彼らの深い悲しみ、このような悲劇を二度と人類は起こしてはならないという平和への強い想いは人類共通の願いです。彼らに代わって、世界の平和を共に祈り、寄り添うことで私たちは一つになれると信じています。
グローバルサイレントミニットの代表のドット・メイバ―さん
8:15分の黙祷をリードしていただきます。
みなさま、黙祷に入る前に、この沈黙の癒しと変容の力をあらためて思い起こしてください。
私たちが提唱しているグローバルサイレントミニットは、第二次大戦中のビッグベン・サイレントミニットに端を発しています。第一次大戦中に戦友を亡くしたポール氏は、その戦友の言葉を思い出し、毎晩9時に沈黙をよびかけました。BBC放送も一分間の沈黙を守り、これは大英連邦各国で行われました。戦後元ドイツ将校が、我々がどうしても破れなかった兵器がある。それはミニットオブサイレンス(沈黙の一分間)と呼ばれていたはずだと。
この話から言えることは、物理的な兵器は破壊と破滅をもたらしますが、この精神的な兵器は平和をもたらすということです。みなさまは、毎年8月6日8:15の原爆投下時刻に黙祷を捧げられています。世界中の同志の皆様、どうぞ世界的な平和と癒しをイメージして一分間の黙祷を行ってください。
広島市長 松井氏メッセージ、
現存する1万4千発の核兵器、米ソ核軍縮を思おい出せ、核兵器禁止条約の発効を
寛容の心が不可欠(抜粋)
ホノルル市長メッセージ
戦争の廃墟から立ち上がったホノルル市民と広島市民は、姉妹都市として互いに有効の架け橋を築き上げ、新しい平和と希望の夜明けを迎えています。どうか私たちがあの戦争の悲劇の教訓を心に受け止め、戦争の恐怖や核兵器と無縁の調和した世界の実現に向けた道を共に歩むことができますように(抜粋)
西園寺里香副理事長からのメッセージ(西園寺姉妹)
今は、地球温暖化という新たな脅威にも直面しています。歴史に学びましょう
愛と赦しと思いやりの精神が必要とされています。(抜粋)
世界人類が平和でありますように
フラッグセレモニーは、過去27回の参加者の国旗掲揚の写真のスライドを使いながら、現地の仲道恵子さんと大谷美晴さんのリードで行われました。
ジェームズ・トワイマンさんのメッセージと歌 May Peace Prevail on Earthを歌いました。
この他に時間を延長して、予定されていた
憲法第9条のお話(中澤英雄さん)、オバマ大統領の広島来訪(仲道恵子さん)、水のシャーマンの方のお話などが行われました。